羽衣石城
別名
所在地 湯梨浜町(東郷町)羽衣石
遺構等 復興天守、曲輪、土塁、石垣、堀切、竪堀、井戸、碑、説明板
現状 山林
築城年 貞治5(正平21,1366)
築城者 南条貞宗
歴代城主 南条
形式 山城(比280m)
訪城日 2007/5/2
貞治5年(正平21,1366)、南条貞宗が築城し、以後10代に亘って南条氏代々の居城となった。大永4年(1524)8代宗勝の時、月山富田城主・尼子経久が攻略し、羽衣石城を因幡侵攻の拠点として、新宮党尼子誠久を城主とした。尼子氏滅亡後、南条宗勝が城主に返り咲き、9代元続は織田方の羽柴秀吉に従い、毛利氏と敵対した。そのため、吉川元春によって落城したが、その後奪還し、天正10年(1582)鳥取城落城後、羽柴と毛利の和睦により、元続は伯耆4郡6万石を領した。慶長5年(1600)、10代元忠は関ヶ原合戦で西軍に属したため廃城となった。元忠は大坂の陣で大坂城に籠城したが、徳川氏と内通したとして、大坂城で切腹し、南条氏は滅亡した。
【歴史】
車で随分上まで行けるので、比高の割に楽に山頂まで登れます。山頂まで北東回りの20分コースと、南西回りの15分コースがあり、どちらも遊歩道が整備されています。私は15分コースで登り、20分コースで下山しました。登っていくと、石垣や竪掘が見られ、「お茶の水の井戸」には今でも水が満ちています。更に羽衣岩も見て、本丸下の帯曲輪から本丸に入ります。帯曲輪の南には虎口があり、本丸には復興天守や城址碑があります。かなり眺望がよく気持ちがいいです。本丸東の二の丸を通って下山すると、天然の塁壁といって自然岩が木戸のようになっています。全体によく整備されて見やすく、素晴らしい眺望に疲れも吹き飛びます。
【感想・メモ】
東郷湖南側から700m程県道22号で西進し、羽衣石川を「羽衣石橋」で渡ってすぐの信号を左折します。川沿いに2.5km程南下すると、お城の案内が出ているのでそこを左折します。道なりに1.4km程山を上がっていくと道路終点が駐車場となり、そこが登城口となります。
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登城口の地図
城跡の地図

【道案内】
うえしじょう