城跡の地図
【歴史】
常山城
別名
所在地 岡山県玉野市宇藤木
遺構等 曲輪、石垣、土塁、井戸、堀切、碑、説明板
現状 山林(常山)
築城年 文明年間(1469-87)
築城者 上野土佐守
歴代城主 上野、宇喜多、戸川
形式 山城(比305m)
訪城日 2010/4 感想

本丸南の石垣

城跡のあちこちで石垣と石仏が見られます。駐車場北の無線中継所がある所が栂尾丸で、駐車場が栂尾二の丸、ここから南へ順番に青木丸、天神丸、北三の丸、北二の丸、本丸と続きます。北二の丸には女軍の墓や碑があり、本丸には展望台や腹切岩があります。本丸南の兵庫丸へ下りると、立派な本丸石垣が見られます。また、本丸の北東尾根へ進むと竹林になっていますが通路は確保され、各曲輪が確認できます。惣門丸から西へ進むと底無井戸があり、ここから道路で駐車場へ戻るとほぼ全体を見られます。

女軍墓

【感想・メモ】
文明年間(1469-87)、福岡合戦で活躍した上野土佐守が築城し、以後上野氏が居城した。天正3年(1575)、孤立した城兵200余に対し、数千の毛利勢が攻め、上野氏の婦女子までが戦列に加わり全滅した(常山合戦)。その後、常山城は岡山城主・宇喜多直家に与えられ、重臣・戸川秀安が在城した。慶長5年(1600)関ヶ原合戦で宇喜多秀家は改易となり、岡山城主となった小早川秀秋の重臣・伊岐真利が城主となった。慶長8年、秀秋の病没後に小早川氏は改易となり、次いで岡山城主となった池田忠継は、常山城を廃城とした。また廃城の際、資材を下津井城改築に利用した。

(『日本城郭大系』新人物往来社発行 参照)
【道案内】

つねやまじょう
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JR宇野線「常山駅」から南西へ約1kmの常山(別名:児島富士)が城跡です。国道30号「宇藤木」信号を西へ入り、1km程西進して左折し、山頂近くの駐車場まで車で上がれます。