虎倉城
【歴史】
文明年間(1469-87)、金川城の出城として服部伊勢守が築いたといわれるが詳細不明。16世紀前半に松田氏に代々属していた有力国人の伊賀伊賀守が鍋谷城から移って居城とし、以後三代にわたって城主となった。16世紀後半の二代・伊賀久隆の頃が全盛で、宇喜多氏の有力武将として備前国北西部から東部を支配した。やがて伊賀氏は宇喜多氏と対立し、子の与三郎は虎倉城から出た。その後、宇喜多氏重臣の長船越中守が居城したが、天正16年(1588)長船氏一族の争いで城は焼失した。以後、虎倉城は再建されることなく放置され廃城となった。

(『日本城郭大系』新人物往来社発行、現地説明板 参照)
【道案内】

三の丸手前の堀切


城跡の地図
登城口の地図
県道31号で宇甘川沿いに北上し、御津虎倉地区に入って左折が県道249号の分岐を直進し、300m先でトンネル手前を左折します。300m程北上して川を渡って右折、1本目を左折し右手に「三十番神社」を過ぎ、更に50m北上して左折、民家の間の狭い道を通りながら50m西進して川手前で右折、このまま道なりに進むと林道で、林道終点に駐車します。林道手前の集落内が狭いので注意して下さい。
別名
所在地 岡山県岡山市(御津町)北区御津虎倉
遺構等 曲輪、堀切、石垣、碑、説明板
現状 山林
築城年 文明年間(1469-87)?
築城者 服部伊勢守
歴代城主 服部氏、伊賀氏、長船氏
形式 山城(比227m)
登城口から本丸まで約30分
訪城日 2010/5 感想

【感想・メモ】
三十番神社に説明板があり、林道終点の登城口に案内が有ります。ここから登ると城の西側から入り、20分弱で説明板があり、そのすぐ東に堀切があります。この東に慰霊碑が祭ってあり、更に進むと堀切を経て三の丸に着きます。その上が本丸で城址碑があり周囲に石垣が見られますが、結構藪です。本丸から東へ藪を掻き分けて進むと二の丸で、石積みがちらほら見られ、先端に堀切があります。全体に山が荒れ、本丸付近まで道を広げようとしたのか斜面を削った跡や、斜面が崩れかけていたりで、荒廃してきているといった感じがしました。

本丸

こくらじょう
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