金川城
承久年間(1219-22)相模国の松田十郎盛朝が承久の乱の戦功によりこの地を与えられ築城した説や、暦応2年(延元4、1339)鎌倉幕府討伐の戦功により相模国から移った松田元国の子元喬が築城し居城とした説もある。文明12年(1480)頃、松田左近将監元成が金川城を本拠に移して以後、5代約90年にわたり松田氏が居城し、永正6年(1509)城主元勝は三条西実隆より玉松・麗水の二書を贈られ、玉松城と命名した。永禄11年(1566)宇喜多直家に攻められ、城主元輝・嫡子元賢共に戦死と松田氏は滅亡し、金川城は落城した。直家は金川城に舎弟の浮田春家を置いたが、慶長5年(1600)関ヶ原合戦にて宇喜多氏は滅亡し、慶長8年、一国一城制の事前施策により廃城となったと思われる。

(『日本城郭大系』新人物往来社発行、現地説明板 参照)
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白水の井戸

別名 玉松城
所在地 岡山県岡山市(御津町)北区御津金川
遺構等 曲輪、土塁、石垣、堀切、竪堀、井戸、碑、説明板
現状 山林(臥竜山)
築城年 承久年間(1219-22)/暦応2(延元4、1339)
築城者 松田十郎盛朝/松田元喬
歴代城主 松田氏、浮田氏
形式 山城(比185m、標225m)
登城口から本丸まで約30分
訪城日 2010/5 感想

北の丸背後の堀切

【歴史】
北区役所支所(御津支所)の道路向かい側(道路沿いではなく小屋裏手に看板有)が登城口で、支所に駐車しました。支所から500m程西の妙覚寺にも登城口があり、私は支所前から登り妙覚寺へ下山しました。
【道案内】
城跡の地図
登城口の地図
2〜3分登った所に「出丸400m、二の丸540m、本丸700m」の看板があります。登り始めて約15分で石積みのある出丸に至り、ここから杉の木井戸がある二の丸を過ぎ、石垣を見て枡形を通ると本丸です。本丸には説明板や石碑等があり、裏手に天守の井戸があります。本丸から北へ堀切を過ぎ、案内がある所で東斜面へ下りて行くと白水の井戸があります。戻って更に北へ進むと北の丸で、この背後に二重堀切があり、その先の両側に竪堀が2本落ちています。ここから本丸方面へ戻り、途中から道林寺丸へ向かいます。道林寺丸は段郭で、その下に道林寺址もあり、そのまま下ると治部ヶ谷を通り妙覚寺へ下山し、支所まで7〜8分もあれば戻れます。城内は木立が多く見難いですが、本丸の枡形虎口、井戸3つと北の丸背後の二重堀切と連続竪堀が見所です。

本丸


【感想・メモ】
かながわじょう