鞆城 |
別名 | |
所在地 | 福山市鞆町 |
遺構等 | 曲輪、石垣、説明板 |
現状 | 鞆歴史資料館 |
築城年 | 天正4(1576) |
築城者 | 毛利元就 |
歴代城主 | 毛利 |
形式 | 丘城(比22m) |
訪城日 | 2005/11/26 |
ともじょう |
県道22号で「鞆バスセンター」信号から100m程南下した1本目の路地を右折して、県道47号に入ります。250m程進んだ「港口」バス停付近を右折して県道47号をキープします。そこから100m程西進した右手に「鞆の浦歴史民俗資料館」の有料駐車場があります。この上(北)の小山が城跡で、車はこの有料駐車場に停めると良いでしょう。 |
駐車場から鞆歴史資料館へと階段を上がっていくと石垣が見えてきて、そこに説明板があります。資料館を過ぎ更に上へ行くと公園になっていますが、特に遺構はないみたい。一番の見所は、石垣の刻印かな? |
鞆の浦は古代から瀬戸内の海上交通の要衝として発展してきた。天正4(1576)、尼子氏に対抗するため毛利元就が築城したといわれる。元就は尼子氏を降伏させた後、織田信長に追われた室町幕府最後の将軍・足利義昭をこの城に迎え、城を拡張した。関ヶ原合戦後、毛利は防府・長門の2国へ減封となり、福島正則が広島に入封し、鞆の地も領有した。その際、城を再建した。その後、一国一城令によって城は壊された。 |