大可島城 |
別名 | 要害 |
所在地 | 福山市鞆町古城跡 |
遺構等 | 曲輪、説明板 |
現状 | 円福寺 |
築城年 | 康永元(興国3,1342) |
築城者 | 岡部出羽守 |
歴代城主 | 岡部 |
形式 | 水軍城、島城 |
訪城日 | 2005/11/26 |
だいかしまじょう |
県道22号「鞆バスセンター」信号から250m程南下すると右手に有料の「市営駐車場」があります。ここから200m程南下した細い路地を左に入って行くと「円福寺」があります。このお寺付近一帯が城跡で、周辺は道が狭く駐車が無理なため、前述した有料駐車場もしくは、「鞆の浦歴史民族資料館」の有料駐車場に停めると良いでしょう。 |
円福寺に説明板があります。すぐ前は瀬戸内海で眺めがよいですが、遺構は特にありませんでした。お寺の入口にある寺名が刻まれた碑の後ろに歴史が刻まれており、そこにお城のことも書かれていました。 |
康永元(興国3,1342)、岡部出羽守が築城した。この城には南朝方の桑原重信一族が篭ったが、備後一帯に勢力を持つ北朝足利方に滅された。貞和5年(正平4年、1349)には足利尊氏の庶子・直義の養子である足利直冬が半年間在城したといわれる。天正元年(1573)、織田信長に京を追放された室町幕府最後の将軍・足利義昭は鞆の地で毛利氏の庇護を受けた。その際、村上亮康が大可島城を本拠として義昭の警護にあたった。その後、鞆城の築城により廃城となった。 |
円福寺 |