県道39号を走っていると「岩津天満宮」の案内があるので、それに従い左折します。東名高速を越える少し手前の左手に、「岩津城址」の説明板があります。この奥が城跡です。
【感想・メモ】
説明板の左手の通路を進んで行くと、突き当りの右手から空掘が始まっています。そこから木立・竹薮の中へと斜め右方面へ行くと、大きな土橋と空堀が目に飛び込んできます。主郭に入ってすぐ左手土塁の上に城址碑があります。主郭の周辺を見渡してみると、腰曲輪があったり、堀が巡っていたりと、かなり遺構がそのまま残っていて見応えたっぷりです。西三河の中では、大給城の次に見応えのあるお城かも?
【歴史】
応永28年(1421)、松平信光は岩津にいた中根大膳父子を攻め滅ぼし、山上に岩津城を築いた。更に麓付近に7つの砦を築き、「岩津七城」と呼んで一族を配して守りを固めた。文明初年(1470頃)、安城城を落として移り、岩津城には子・親長を置いた。永正3年(1506)、今川勢を率いた伊勢新九郎が岩津城に攻め入り、松平一族はほとんどが討死し落城した。岩津城は要害の地であったため、敵方の拠点になるのを恐れ、家康人質時代に岡崎城代を務めた今川氏が廃城としたといわれる。
主郭虎口 |
|
|
岩津城縄張図 原図:奥田敏春氏
愛知県中世城館跡調査報告書U(西三河)より |
|
|
|