姫山陣屋 |
別名 | |
所在地 | 吉良町乙川字孫三 |
遺構等 | 石垣、碑、説明板 |
現状 | 畑 |
築城年 | 慶長年間(1596-1615) |
築城者 | 吉良義定 |
歴代城主 | 吉良 |
形式 | 陣屋 |
訪城日 | 2005/3/6 |
ひめやまじんや |
石垣 |
国道247号「乙川」信号から450m程東進した4本目の路地を右折します。名鉄蒲郡線を横切り100m程南下すると道が少し右カーブします。その次の左側路地へ左折した正面が陣屋跡です。 |
最後の左折する道の角に姫山陣屋の説明板があります。この説明板から真っ直ぐ奥へ道を歩いていくと畑が右側にあるのですが、道が右カーブして坂を上がって行った正面の高台に、藪に隠れるようにして陣屋跡の碑があります。碑の正面へ入れる道があるのですが、藪がスゴイです。反対側からだと墓地&藪で余計に入りにくいかも?また石垣の一部が残ると説明板に書いてあったのですが、あちこち石垣があり、使っている石や積み方が何種類もあるため、どれが残っている石垣なのか私には判別できませんでした。 |
慶長年間(1596-1615)、近世吉良氏2代目・義定が設置した。饗庭・乙川・小山田・鳥羽の4村を支配した。その後、5代目・吉良上野介義央の時、御家断絶となり、宝永2年(1705)、津田外記領となって岡山陣屋に統合された。 |