城跡の地図
日近城
別名 名の内城
所在地 愛知県岡崎市(額田町)桜形字般興
遺構等 曲輪、土塁、堀切、説明板
現状 山林
築城年 文明初期
築城者 奥平貞昌
歴代城主 奥平
形式 山城
駐車場から主郭まで10分
訪城日 2003/6/21
文明(1469-87)初期、作手亀山城主だった奥平氏三代目・貞昌がこの地に築城した。次男・九兵衛貞直は日近奥平氏の祖となり今川氏に属した。弘治元年(1555)、貞直は今川に背いて織田に寝返り、岡崎を攻めようとした。翌年2月20日、奥平貞勝と家康の名代・松平義春が戦う日近合戦が勃発した。今川義元が桶狭間の戦いで戦死すると、日近城は織田氏と和睦した松平氏と奪取することになったが、日近城の周辺は武田氏と徳川氏の勢力争いの接点でもあった。貞直の後を継いだ貞友は作手奥平氏とともに永禄7年(1564)家康に従い、元亀元年(1570)武田氏に従い、元亀4年には再度徳川氏に従った。天正3年(1575)長篠の戦で、奥平七族と篭城して武田方と戦った。
【歴史】

主郭
国道473号「根裏トンネル」から北上し、ヘアピンカーブを抜け県道35号にぶつかったら右折します。300m程行った信号で国道473号は左折になりますが、そこを直進して50m程進んだ左手の「広祥院」というお寺の背後の山が城跡です。お寺を過ぎた左手に城見学者用の駐車場があります。
お寺の背後に登城道があり、城内は整備されています。登る途中、長篠の戦いの際、武田方の人質として送られ斬首された、城主・奥平信昌の弟「仙丸」や日近家家老・貞友の娘「おふう」等のお墓もあります。主郭には東から南にかけて土塁があり、この背後に堀切が、更に東方にも堀切があります。
日近城縄張図  原図:奥田敏春氏
愛知県中世城館跡調査報告書U(西三河地区)より
【感想・メモ】

【道案内】

ひぢかじょう
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主郭背後の堀切