末森城
別名 末盛城
所在地 名古屋市千種区城山町2丁目
遺構等 内堀、土塁、碑、説明板
現状 城山八幡宮
築城年 天文17(1548)
築城者 織田信秀
歴代城主 織田信秀、信行
形式 平山城
訪城日 2004/9/25
【道案内】


【感想・メモ】
すえもりじょう
【歴史】
TOPページへ
城址碑
地下鉄東山線「覚王山駅」と「本山駅」の間にある県道60号の「城山八幡宮前」信号を北上すると階段上に城山八幡宮があります。ここが城跡です。車で行く場合は、県道60号「末盛通2」信号を北へ入り、すぐの路地を右折して道なりに上がっていくと八幡宮の中の駐車場へ行けます。
城山八幡宮の階段下にお城の説明板があります。城跡は城山八幡宮となっており、その周囲を空堀が巡っています。これがかなり立派で、空堀の中をぐるりと歩いて回れます。名古屋市の中でこれ程の遺構が残っているのは、名古屋城を別格としたらここだけではないでしょうか。また、城山八幡宮の境内に城址碑があります。
天文17年(1548)、織田信秀(信長の父)が築城し、古渡城からこのお城へ移った。守山城を守る弟・信光と連携し、三河へ進出してきた今川氏と対抗するためだった。ところが翌年3月、信秀は病気のため急死した。その後、信長の弟である信行が城主となったが、信行は信長にとって代わろうと企み、稲生原の合戦をしたが敗北。弘治3年(1557)信行は清洲城にて謀殺された。そして、末森城は翌年廃城となった。
空堀
空堀
城跡の地図