奥村屋敷 |
別名 | |
所在地 | 名古屋市中川区荒子5丁目 |
遺構等 | |
現状 | 宅地 |
築城年 | |
築城者 | 奥村宗清 |
歴代城主 | 奥村 |
形式 | 屋敷 |
訪城日 | 2005/8/29 |
おくむらやしき |
地下鉄東山線「「高畑駅」から南南東へ約650m、あおなみ線「南荒子駅」から西へ約600m。国道1号「中島橋西」信号を北へ入ります。800m程北上した「荒中町」信号を右折し、150m程東進した2本目の路地を左折します。そこから150m程北上した右手が屋敷跡です。 |
周辺は新しい家も建ち並んでいましたが、道の区割りが昔のままで細くてくねくねと折れ曲がっています。付近には、奥村さんという姓の家が沢山あったので、末裔の方々が住み着いているのかなぁと思いました。すぐ近くに、奥村さんも寄贈している祠がありました。 |
奥村宗清が居住した。宗清は藤原鎌足の29世の孫、久綱より7世、赤尾忠利の嫡子である。もとは中島郡奥村(現在の一宮市)に居住したが、織田信長に仕え、荒子村に土地を貰い、奥村姓を称した。後に、荒子城主・前田氏の娘を妻とし、その長男・庄左衛門利久は信長に仕え、荒子村に居住した。 |
屋敷付近の祠 |