長久手城
【感想・メモ】
【歴史】
【道案内】
城跡の地図
永享年間(1429-41)、左近太郎家忠・左衛門次郎国守が居城し、享禄年間(1528-32)には斉藤平左衛門尉・民部丞らが居城した。その後、空き城となり廃れてきたが、弘治年間(1555-58)、瀬戸の馬ケ城から加藤太郎左衛門が修築して移り住んだ。天正12年(1584)長久手の戦いで、当時城主だった加藤太郎右衛門忠景は徳川方の丹羽氏重を助け岩崎城に入った。その際、秀吉方の池田勢によって戦死した。城もこの戦いの時焼失した。
県道60号「東狭間」信号を北へ入り、500m程北上した「交番東」信号より50m程手前の路地(交番東信号から1本南の路地)を右折します。そこから100mほど東進すると右手に公園のような空き地があり、奥には観音堂があります。この付近一帯が城跡です。
別名
所在地 愛知県長久手市城屋敷
遺構等 碑、説明板
現状 公園、宅地
築城年 永享年間(1429-41)
築城者 左近太郎家忠
歴代城主 左近、斉藤、加藤
形式 平城
訪城日 2008/7/12


ながくてじょう
今では宅地造成などで何も残っていません。観音堂があるスペースの隅に、城址碑と説明板があります。また、城主だった加藤太郎左衛門の墓碑やお地蔵様が佇んでいらっしゃいます。
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