八幡砦 |
別名 | 八幡村城 |
所在地 | 豊川市八幡町本郷 |
遺構等 | 土塁、空堀、井戸、櫓台 |
現状 | 三河国分寺 |
築城年 | 永禄年間(1558-70) |
築城者 | 山本帯刀 |
歴代城主 | 山本帯刀、稲垣帯刀、板倉重実 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2003/8/24 |
やわたとりで |
奥が主郭 2003/8/24 現地説明会にて |
県道5号「筋違橋」信号を北東へ入り、県道377号に入ります。300m程進んで左折して県道377号をキープし、400m程北上すると道路に「三河国分寺跡」の案内が出ているので、そこを左折します。すると、公民館のすぐ横に「三河国分寺跡」の碑があります。この周辺が城跡です。 |
国分寺の碑があった奥などに、土塁が残っています。国分寺のすぐ近くの国分尼寺の方は整備して門などを復元しています。八幡砦は国分寺付近のみの遺構からこの辺りと推測されていましたが、宅地造成や道路整備のため国分寺の北側を掘っていたら土塁や櫓台、それに伴うピット、井戸などが出てきて主郭の位置が全く違った所であると判明しました。ただ残念な事にこれらは全部宅地として埋められてしまいました。 |
松平元康(徳川家康)の東三河侵攻に備え、牛久保牧野氏の家臣である山本帯刀が砦を築いた。野口城の支城の役目を果たしていたともいえる。しかし、永禄5年、家康軍に破れ落城した。 |