和田城 |
別名 | |
所在地 | 新城市(作手村)作手保永中嶋3 |
遺構等 | 曲輪、土塁、空堀 |
現状 | 畑、林 |
築城年 | 天文6(1537) |
築城者 | 奥平出雲守勝次 |
歴代城主 | 奥平 |
形式 | 丘城(比15m) |
訪城日 | 2005/4/17 |
わだじょう |
和田城縄張図 原図:奥田敏春氏 愛知県中世城館跡調査報告書V(東三河地区)より |
国道301号「和田」信号から300m程北上して右折し、200m程先で右折します。道なりに150m程東進した付近が城跡で、城はこの道で分断されています。 |
天文6年(1537)、奥平勝次が宗家に対抗した石橋城主・石橋弾正繁昌を討った戦功により、宗家4代・貞勝からこの地を賜って築城した。この地は、作手奥平所遭い・貞俊の次男・貞盛が、作手から東三河中心地へ行く中継点として分出した。 |
道の北は曲輪跡で畑になっており、南は少し丘を登ると土塁と空堀が残っています。 |