石橋城 |
別名 | 弾正屋敷 |
所在地 | 新城市(作手村)作手清岳字寺屋敷 |
遺構等 | 土塁、曲輪、空堀、碑、説明板 |
現状 | 慈昌院 |
築城年 | 応永年間(1394頃) |
築城者 | 奥平弾正久勝 |
歴代城主 | 奥平 |
形式 | 山城 |
訪城日 | 2007/2/3 |
いしばしじょう |
国道301号に県道37号がぶつかった正面。作手村役場からだと国道301号で1.8km程南下した国道沿い左手(東)に「つくで手作り村」があります。この「つくで手作り村」の国道を挟んだ正面に「慈昌院」というお寺があります。このお寺が城跡です。 |
お寺の背後に土塁や空堀が残っています。空堀は、国道からお寺に向かって右手の竹林から入ると見やすいです。 |
応永年間(1394)頃に奥平氏2代目・貞久の次男で石橋と称した弾正久勝が築城した。後に久勝の子・弾正繁昌が主家に背いたため、4代目・貞勝に城を攻められ、天文6年(1537)、郎党40余名が討死した。 |
石橋城縄張図 現地説明板より |