徳定城 |
別名 | 塩瀬古屋敷 |
所在地 | 新城市徳定字西久保231 |
遺構等 | 曲輪 |
現状 | |
築城年 | 弘治2(1556) |
築城者 | 菅沼又左衛門 |
歴代城主 | 菅沼又左衛門、塩瀬 |
形式 | 平山城(比24m) |
訪城日 | 2003/2/11 |
とくさだじょう |
遠景 |
国道151号「警察署南」信号を県道437号へと北に入ります。600m程北上すると県道21号と交差するのでここを左折して県道21号を豊川方面に進みます。徳定の集落に入ると、飛び出した丘のような所に墓所と元牛舎の建物がある場所が左手にあります。そこが城跡です。 |
城跡の中心はIさん宅付近です。堀跡のような雰囲気を感じたりしますが、明瞭な遺構はありません。でも、遠望すると何となくお城って感じられる地形をしています。 |
弘治2年(1556)、野田城主・菅沼定村が、この地の警備のために弟・菅沼又左衛門に築城させた。ところが又左衛門は13年後に遠江国引佐郡刑部城へと移ったため、野田城から家臣・塩瀬久次・久俊が居城した。天正3年(1575)、奥平信昌の家臣が来たが、天正18年に廃城となった。 |