以前、工場内にあった城址碑
御津南部小学校から県道384号で750m程南東へ進み、右手に「海会寺」を過ぎてから100m程進んだ2本目の路地を左折します。100m程東進して左手に「正眼寺」を過ぎ、更に80m程進んだ突き当りを左折すると左手に公園があります。この公園に碑と説明板があります。 |
佐脇城 |
別名 | |
所在地 | 豊川市御津町下佐脇郷中 |
遺構等 | 碑、説明板 |
現状 | |
築城年 | 享禄5(1555) |
築城者 | 佐脇右京亮朋秀 |
歴代城主 | 佐脇、奥平、三浦、板倉、奥平 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2008/2/9 |
さわきじょう |
以前は、閉鎖した工場の門のところに説明板があり、工場跡地の庭みたいなところにポツンと城址碑がありました。2006年に工場跡地は宅地となったと聞いて再訪しました。白い標柱と説明板は工場があった近くの公園にあったのですが、石碑は周辺を散策したものの見当たりませんでした。 |
享禄5年(1555)、佐脇右京亮朋秀が築城したが、佐脇氏は基盤を伊勢に移したため作手奥平氏が領地とした。永禄5年(1562)、今川氏が松平元康の東三河進出を防ぐため、八幡(豊川市)と佐脇に砦を築いた。佐脇砦は三浦左馬助義就が守ったが、同年すぐに松平氏に落ちた。 |