西方村古屋敷 |
別名 | 西方古塁 |
所在地 | 豊川市御津町西方中屋敷 |
遺構等 | 堀、土塁、説明板 |
現状 | 宅地他 |
築城年 | 天正18(1590) |
築城者 | 森寺政右衛門忠勝 |
歴代城主 | |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2004/12/19 |
にしかたむらふるやしき |
遠景 |
JR東海道本線「愛知御津駅」のすぐ南側に県道384号が走っており、駅の南側から南を見ると、1本背の高い木が見えます。この木がある所が屋敷跡です。県道384号「愛知御津駅」のすぐ西側のT字の交差点を南に入り、すぐの路地を左折します。2本目の路地を右に入ってすぐ右手を見ると、先程の背の高い木があります。 |
木は土塁の上に植わっています。ボロボロになった説明板の後ろには堀があります。堀の向こう側には土塁が〜。裏へ回ってみると土塁がもっとよく分かるのですが、写真に撮ると木が邪魔してイマイチ。 |
天正18年(1590)、吉田城主・池田輝政の重臣・森寺清右衛門忠勝壮大な居館を構えて御津地方を支配した。その後、吉田藩主・松平忠利の弟・長三郎忠貞が入城し、家臣・鈴木太郎左衛門茂勝が拝領した。城域は東西220m、南北330m程もあったという。 |