城跡の地図
栗峯城
別名 布里城
所在地 新城市(鳳来町)布里字栗峯
遺構等 曲輪、土塁跡
現状
築城年
築城者 熊野備中守
歴代城主 熊野、菅沼
形式 丘城(比30m)
訪城日 2005/4/3
【道案内】


【感想・メモ】
くりみねじょう
【歴史】
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遠景
国道257号で新城から設楽町方面へ向かった場合、「只持」信号を左折して豊川を渡ります。渡ってすぐ(小島バス停手前)を左折して県道436号に入ります。600m程行くと右手奥に鳳来西小学校がありますが、この小学校のすぐ南側の丘が城跡です。城跡の麓に鳳来西保育園があります。
城跡はかなり削り取られてしまい、今では石仏のようなものが祭ってある部分の下に土塁跡があるのみです。
はじめ熊野備中守が築城した。その後、菅沼定直が城主となり、田峯菅沼氏の支城とした。天文4年(1535)、守山崩れから今川義元の領地であったが、永禄3年(1560)桶狭間の戦いで義元が戦死すると、今川氏と尾張の織田氏の内紛が続いた。弘治元年(1555)、田峯城主・菅沼定継が、織田氏に属していた奥平氏と共に今川義元に背いた。布里の菅沼定直は今川方だったので、作手の奥平氏、田峯の定継ら織田勢と戦った。定継は菅沼一族の中で孤立し、家臣らと共に討死した。これが布里合戦である。
土塁跡