山形県のお城 しみずじょう
清水城
別名
所在地 山形県大蔵村清水
遺構等 曲輪、土塁、横堀、碑、説明板
現状 山林、田畑
築城年 文明10年(1478)
築城者 清水満久
歴代城主 清水氏
形式 平山城(比40m、標90m)
登城時間
大手門 訪城日 2014/4/26 感想
【道案内】 城跡の地図
大蔵村役場東方から国道458号で最上川を南へ渡り、突き当りを右折し県道30号へ入ります。700m程先に看板があり、そこを左折し台地上へ上がると大手門に至ります。付近に路上駐車可能。
【感想・メモ】
大手門に説明板と碑があり、この南が城下町、北が二の丸、本丸と続きます。二の丸の北の外堀、本丸と二の丸の間の内堀がお手軽に楽しめます。
【歴史】
文明8年(1476)、山形城主最上氏2代直家が、六男で鳴沢城主である鳴沢兼義の子満久を清水に配した。満久は清水氏を称し、最初白須賀に居館を構えたが、2年後の文明10年にこの地に築城し、以後、清水氏代々の居城となったといわれる。清水氏6代義氏に子がなく、最上義光三男の義親が跡を継いだが、かつて家康近習で宗家を継いだ異母兄家親に代わり、秀頼に仕えていた義親を山形城主に擁立しようとの動きもあり、慶長19年(1614)、家親派の軍勢により清水城は落城、義親は自刃した。元和8年(1622)、最上氏改易に伴い清水城は破却された。
参考資料】
『山形県中世城館遺跡調査報告書 第1集(置賜地域)第2集(村山地域)第3集(庄内・最上地域)』山形県教育委員会発行
『日本城郭大系』新人物往来社発行
外堀 内堀 本丸
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