城跡の地図
JR左沢線「寒河江駅」から北東へ約800mにある寒河江小学校が城跡です。
鎌倉時代初頭の享禄年間(1225-27)、寒河江庄の地頭となった大江親広が築城した。以後、大江氏18代が居城した。当初は本丸だけの館城だったが幾度か改修され、八代時氏の時代には二の丸・三の丸が完成していた。天正12年(1584)、18代高基の時、山形城主最上義光との戦い破れ、高基は貫見の御楯山で自刃し、大江氏は滅亡した。その後、元和年間の最上氏改易により寒河江城も接収され、江戸時代には二の丸付近に寒河江陣屋が設置された。

(『日本城郭大系』新人物往来社発行、現地説明板 参照)
【歴史】

移築門(三の丸辰巳門)

寒河江城
【感想・メモ】
寒河江小学校の前(西側)に城址碑や説明板があり、学校の南・県道23号沿いの小公園にも同じ説明板があります。また、学校の北東には本丸の碑と説明板があり、その前にある水路は水堀跡です。学校から西北西へ約600mにある澄江寺の山門は、寒河江城三の丸の辰巳門とのことです。
澄江寺:寒河江市本町3−12−3  地図

別名
所在地 山形県寒河江市丸内1丁目
遺構等 堀跡、移築門、碑、説明板
現状 寒河江小学校
築城年 嘉禄年間(1225-27)
築城者 大江親広
歴代城主 大江氏
形式 平城
訪城日 2010/7 感想
【道案内】

さがえじょう
TOPページへ