【道案内】 |
登城口の地図 |
城跡の地図 |
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JR「羽前中山駅」から西へ約500m。城の南東が登城口。羽前中山駅の西約250mで国道13号「上山バイパス」から西の通りへ入り(羽前中山駅の北約350mで国道がバイパスと旧道と分岐する信号からバイパスを450m程南下して右折)、すぐを左折、80m程南下して右折し、坂を上がった正面が登城口で、説明板があります。この付近は中山小学校跡地で近世には御役陣屋が置かれ、現在は広い空地になっており駐車可能です。 |
【感想・メモ】 |
4分程登ると三郭に至ります。三郭は東西に長く、北と西に土塁があり、西方の土の様子に驚きます。二郭への虎口が何度も屈曲する桝形になっており、両側を土の壁に囲まれた中を通って、漸く二郭に到達した気分になります。二郭も広大で、北東の主郭との間には空堀があります。この北側の主郭は北東に石垣で築かれた天守台があり、北と西に低い土塁が巻き、東下には横堀もあります。私が訪れた時は城内が整備され見やすかったのですが、夏場はシダが伸びて藪になりそうです。 |
【歴史】 |
中山城は最上領との境にあり、永禄・元亀(1558-72)頃、伊達氏の家臣中山弥太郎が伊達領を最上勢から防衛するために築いたといわれる。その後、天正18年(1590)、会津に入封した蒲生氏郷の家臣蒲生郷可が城主となり、慶長3年(1598)上杉景勝が会津に入ると横田旨俊が置かれた。江戸時代には米沢城の支城を御役屋と称し、中山城では南東麓に御役屋が置かれた。 |
【参考資料】 |
『山形県中世城館遺跡調査報告書 第2集(村山地域)』山形県教育委員会発行
『日本城郭大系』新人物往来社発行 |