山形県のお城 かみのやまじょう
上山城
別名 月岡城
所在地 山形県上山市元城内3-7
遺構等 模擬天守、石垣、土塁、堀、碑、説明板
現状 月岡公園
築城年 天文4(1535)
築城者 武衛義忠
歴代城主 武衛、能見、蒲生、土岐、金森、藤井
形式 平山城
登城時間
訪城日 2013/4/26、2014/4/29 感想
【道案内】 城跡の地図
JR奥羽本線「かみのやま温泉駅」から北へ約750m。国道458号「上山温泉口」バス停付近を東へ入り、500m程東進すると、左手に月岡公園があります。この公園が城跡で、公園中腹に50台分程の無料駐車場が完備されています。
【感想・メモ】
大した高さじゃないとはいえ、上まで車で行けるのでラクラクです。二の丸の南に天守の形をした郷土資料館があり、本丸は月岡神社になっています。本丸に城址碑と説明板がありますが、郷土資料館の前にも説明板があります。土塁がよく残っていて、土塁そばにある桜の花がキレイでした。
【歴史】
天文4年(1535)、里見満長の子孫・武永義忠が月岡と呼ばれていた高台に新たに築城したのが上山城である。武永氏は上山氏ともいい最上氏の一族だったが、次第に宗家から独立した。戦国時代、山形城主最上義光が出羽へ進出すると、上山城主武永満兼は伊達政宗の父である伊達輝宗と結んで義光と抗戦したが、義光は満兼の家臣里見民部を懐柔して満兼を暗殺させ、上山城攻略に成功した。上山城は山形城の支城とし、里見民部が城代となるが、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いで石田三成と盟約を結んだ。上杉景勝の家老直江兼続と、徳川家康に味方した最上義光軍が上山城で戦い、城将里見民部の奇襲によって勝利した。元和8年(1622)、義光の孫の義俊の代にお家騒動で最上氏は改易。その後、上山城は城主が頻繁に代わったが、元禄10年(1697)松平(藤井)信通が3万石で入封。以後、上山城は松平(藤井)氏10代の居城として明治を迎えた。
参考資料】
『山形県中世城館遺跡調査報告書 第2集(村山地域)』山形県教育委員会発行
『日本城郭大系』新人物往来社発行
HOME 山形県のお城