【道案内】 |
城跡の地図 |
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一迫川を県道17号で北へ渡り、200m程北上すると左手に龍雲寺があります。この裏山が館跡で、お寺に参拝者用駐車場があります。 |
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【感想・メモ】 |
通り沿いから城の標柱が見えます。お寺の西方にある「政岡の墓」の案内に従い山を登ると城跡で、館跡は3つの郭からなり、政岡の墓があるのが東端の郭となります。各郭との間に堀切があり、真ん中の郭は酷い藪です。西側の郭は鹿嶋神社跡のようで碑と説明板があります。ここから東方約800mにある姫松館が素晴らしいので是非立ち寄ってください。 |
【歴史】 |
東郭と中郭の間の堀切 |
築城年代は不明だが、大崎氏系の武将狩野氏(一迫氏)が館主といわれる。天正19年(1591)伊達氏の所領となると、譜代の重臣富塚氏が入り、近江宗綱から享保3年(1717)長門重標が領地を没収されるまでの約130年間居城とした。それ以後は白河結城氏の流れを汲む白河氏が入り明治まで続いた。 |
【参考資料】 |
現地説明板 |
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