【道案内】 |
城跡の地図 |
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龍雲寺の東約800mが館跡で、龍雲寺背後の山は真坂館です。一迫川を県道17号で北へ渡り、200m程北上して左手に龍雲寺を過ぎた付近で右手の路地へ入ります(城の標柱有)。そのまま道なりに800m程東進すると城跡で、西館下(右手に姫松館森林公園の碑を過ぎたすぐ先)に駐車スペースがあります。 |
【感想・メモ】 |
西館 |
城域がとても広く、各尾根に立派な遺構があるため、最低2時間は予定しましょう。西館は北側に土塁があり、神社が鎮座しています。そこから東へ進むと土の凹凸に驚嘆と歓声をついついあげてしまいます。二重竪堀と屈曲する横堀を見ながら中館へ。中館は北と西に土塁があり南端に断崖の松の標柱があります。更に東は東屋がある東館となり、その東にはまた二重竪堀が2箇所あります。その先には南北に竪土塁と竪堀があり、付け根の東側にも土塁を伴った郭がありますが藪です。竪土塁を下った南斜面には畝状竪堀が東側道路まで施され、西館〜東館の北側にも横堀や竪堀が巡らされ、東館から北尾根へ下ると堀切もありました。その他の尾根は未確認ですが、断崖である西館と中館の南斜面以外は随所に横堀や竪堀で防御しています。尚、7月に再訪したら藪で見られない所も多かったので、晩秋〜初春頃に訪れるのをお勧めします。 |
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【歴史】 |
平泉藤原氏の臣井ノ山雅楽之丞が館主と伝えられ、雅楽之丞は近郷の諸館を統率したという。文治6年(1190)、平泉藤原氏の残党である大河兼任の乱を助けてこの館に拠り、鎌倉方の千葉新介、足利上総前司、小山五郎など東国の御家人らを迎え撃ち敗れたといわれ、落城の際、千代姫が傘に掴まって断崖を飛び降り逃げ延びたとの伝説がある。また、大崎氏の家臣湯山雅楽允の居館との説もある。 |
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【参考資料】 |
『日本城郭大系』新人物往来社発行
現地説明板 |
中館 |