宮城県のお城 どどじょう
百々城
別名 鶴城
所在地 宮城県大崎市(田尻町)田尻大沢百々一
遺構等 説明板
現状 山林、畑、宅地
築城年
築城者 百々氏
歴代城主 百々氏
形式 丘城(比30m、標40m)
登城時間
妙見神社方面
訪城日 2012/7 感想
【道案内】 城跡の地図
東北本線「田尻駅」から南南東へ約1.7km。田尻駅から県道173号で1.6km程南南東へ進むと左手にお城の説明板があります。この北側丘陵上が城跡です。
【感想・メモ】
通りがかりに説明板を見つけて立ち寄りました。その図面に桝形と書かれている部分は痕跡がなく、本丸と書かれている場所は個人宅の背後のため入れず。妙見神社の上が二の丸とのことで行ってみたらここは畑でした。
【歴史】
天正年間には百々左京亮隆元が居城した。百々氏は、奥州探題大崎氏の一族で五世隆元の代に禄高4000石を領し、第14世大崎左衛門督義隆の重臣として城を守備した。天正16年(1588)から2年間に亘り伊達政宗の攻略にあうも勝敗が決しなかったが、天正18年、豊臣秀吉の奥州仕置により伊達氏は降服し、大崎氏没落と共に百々城も落城した。その後伊達領となり、伊達政宗の命により亘理城から亘理元宗が移封となった。文禄2年(1593)、亘理氏が涌谷城に移り、その家臣長谷修理亮景重が入ったが、寛文年間(1661-73)、長谷氏も涌谷に移り、以後廃城となった。城の配置が鶴の形に似ていることから、または城の守護神として鶴をいけにえにしたことから鶴城といわれている。
参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
現地説明板
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