鼎館

国道を走っていたら標柱を見つけたので立ち寄りました。国道沿いには「鼎館跡」、神社には「旧米谷館跡」の標柱がありますが遺構は見当たりませんでした。ただ、このぜん荷神社の東の墓地、更に東の高台までが城域だったようなので、そちらには何かあるかもしれません。この館跡は東から北上川に向かって丘陵がせり出した先端に位置していますが、丘陵は先端部で3つに分かれており、鼎館は南端に位置し、その北は大膳館、北端は米谷館(米谷工業高校の北北西)が築かれています。
【感想・メモ】
【道案内】
城跡の地図
北上川が大きく蛇行し、国道398号(本吉街道)で川を東へ渡った丘陵上のぜん荷神社が館跡で、神社に駐車できます。登米志津川道路「登米東和インター」から国道398号で1km程西進して右折し(標柱有)、坂を上がって行くと館跡の神社があります。
『仙台封内風土記』に「不叶館何人の居城なるか詳かならず」とあるが、米谷氏が居城したと思われる。米谷氏は葛西重臣亀卦川氏の一族と考えられている。いくら館を築いても完全な築城ができなかったことから、不叶館というと伝えられている。

参考資料
『日本城郭大系』新人物往来社発行
現地標柱
【歴史】

別名 不叶(かなえ)館、米谷(まいや)古館
所在地 宮城県登米市東和町米谷
遺構等
現状 秈(ぜん)荷神社
築城年
築城者
歴代城主 米谷氏
形式 丘城(比45m)
訪城日 2012/1 感想
あがただて
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