金ヶ崎城 |
別名 | 金ヶ崎館、胡桃館 |
所在地 | 金ヶ崎町西根字白糸・刈屋 |
遺構等 | 空堀、説明板 |
現状 | 金ヶ崎神社、宅地、道路 |
築城年 | 慶長年間(1596-1615) |
築城者 | 桑折景頼 |
歴代城主 | 桑折、大町 |
形式 | 平城 |
訪城日 | 2005/5/4 |
かながさきじょう |
金ヶ崎神社 |
JR東北本線「金ヶ崎駅」から東へ約700mのところ。国道4号を水沢市方面へ南下した場合、「宿内川」手前の信号を左折して県道270号に入り、金ヶ崎町中心部へ向かいます。JRをくぐり、宿内川を「宿内橋」で渡って1.5km程南下した「金ヶ崎町」信号を左折して県道108号に入ります。そこから300m程東進した路地を左折して300m程北上すると、右手に「金ヶ崎神社」があります。この付近一帯が城跡です。 |
「金ヶ崎町」信号を県道108号へと東へ入ったすぐ右手(南側)道路沿いに、お城の説明板があります。その図を見て、現状を把握しながら歩いたつもりなのですが、何が何だかよく分からなかったです。金ヶ崎神社へ向かう途中、空堀がありました。 |
慶長年間(1596-1615)、桑折景頼が岩谷堂から移封になり、金ヶ崎に居城した。しかし、慶長19年(1614)、伊達秀宗が伊予宇和島藩主として移る際、その後見役として従ったため金ヶ崎城を去った。翌元和元年(1615)、一関城主・留守宗利が入ったが、在城15年で水沢城へ移った。その後、13年間ほど空城となったが、寛永21年(1644)、藤沢から大町定頼が入城し、以後9代続いて明治を迎えた。 |
空堀 |