新宮城
別名
所在地 喜多方市慶徳町新宮
遺構等 曲輪、土塁、空堀、碑、説明板
現状
築城年 建暦2(1212)
築城者 新宮六郎左衛門時連
歴代城主 新宮
形式 平城
訪城日 2006/5/2
【道案内】


【感想・メモ】
しんぐうじょう
【歴史】
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県道16号で喜多方市街から山都町方面へ向かった場合、濁川を「濁川橋」で渡り、1.3km程進んで左折し県道336号に入ります。1.3km程南下した右手付近一帯が城跡で、道路に案内が出ています。空き地のような感じになっているため、駐車スペースは沢山あります。
来る途中、一面田んぼですが、道路にお城の案内が出る200m程手前の道路沿い西側に城址碑があります。空き地のようなスペースにお城の説明板がありますが、字が消えかかっていてイマイチはっきり読めません。また、ここには土塁が残っており、田んぼにも土塁が残っている箇所があります。そして、空き地のすぐ横(西)には空堀もありました。城跡のほとんどが田んぼになっていて全体像が分かりづらいのですが、探してみると遺構があちこち見られるお城だなぁって思いました。
奥州平泉征伐後の文治5年(1189)、会津・葦名氏の祖、佐原十郎義連は源頼朝より会津の地を与えられ、領主となった。佐原氏3代目の時、葦名氏・北田氏・新宮氏・加納氏などが分割して支配するようになり、佐原十郎義連の孫・新宮六郎左衛門時連は、建暦2年(1212)、新宮城を築いた。その後、葦名氏に滅ぼされるまでの約200年間、新宮氏の居城となった。
城跡の地図