鴫山城
鳥居をくぐった右手に説明板があり、この付近は侍屋敷となります。そこから少し奥へ行くと、立派な空堀にカッコいい石垣がお出迎えしてくれます。ここが大門跡で、最大の見所です。門跡の土塁上から眺めると、高さや深さが実感でき、更に感動します。門跡を過ぎた左手には石組み井戸があり、少し登ると下千畳・上千畳があります。ここから門跡を見下ろす景色は壮観です。上千畳の東側に御台清水があり、一段高い東側には御花畑跡があります。山頂には詰の城もありますが、雨が強く降っていたので諦めました。
【感想・メモ】
別名 南山城、田島城
所在地 南会津町(田島町)田島字愛宕山
遺構等 曲輪、土塁、空堀、石垣、門跡、井戸、
碑、説明板
現状 山林
築城年 14世紀後半-15世紀前半
築城者 長沼氏
歴代城主 長沼、蒲生、上杉、蒲生、加藤
形式 山城
訪城日 2006/5/2
【道案内】

TOPページへ
しぎやまじょう
【歴史】
会津鉄道「会津田島駅」から南西へ約1km。南会津町役場の南西の山が城。北麓の愛宕神社の鳥居を入った所に駐車スペースがあります。
鴫山城は、愛宕山の頂上から北斜面と麓にかけて構築された根小屋式の山城である。築城の時期は、南北朝から室町期にまず長沼氏の山城として築かれ、ついで戦国末期までに長沼氏の手で根小屋に一定の構築がなされた。しかし、基本的には蒲生・上杉の両氏、とくに上杉氏により大規模な築営が行われて完成をみたと推定される。(現地説明板より)

奥州藤原氏平定後、田島の地を与えられた長沼宗政が居城した。天正17年(1589)、摺上原の戦いで長沼盛秀は芦名方に属して出陣したものの、すぐに伊達氏に寝返ったが、討死にして長沼氏は滅亡し、鴫山城は廃城となった。
城跡の地図