三春城
別名
所在地 福島県三春町大町
遺構等 曲輪、土塁、空堀、石垣、碑、説明板
現状 城山公園
築城年 永正年間(1504-21)
築城者 田村義顕
歴代城主 田村、秋田
形式 平山城(比80m)
訪城日 2006/4/30
【道案内】


【感想・メモ】
みはるじょう
【歴史】
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三春小学校東の城山公園。南側の県道40号から公園へ入る道があり、途中に駐車場がありますが、400m程進んで鋭角に右折すると主郭下に駐車場があります。通り沿いにそのまま進むと公園を通り過ぎて宅地に出てしまうので注意してください。
主郭へと登る途中、矢倉跡の石垣があり、その上方にもっと立派な石垣があります。階段を上っていくと正面に城址碑と説明板があり、横は広い二之丸です。二之丸南西隅には御三階櫓があったようで、その下に構築されていた高石垣の痕跡が少しだけ見られます。大広間跡は桜がすごく綺麗で、ここも広く気分がいいです。道を挟んで南西にある二の丸は段郭に満開の桜が咲いていて素晴らしかったです。二の丸は一部、遊具のある公園になっています。東尾根には三の丸があります。
永正年間(1504-21)在地豪族の田村義顕が築城し、隆顕、清顕と3代が居城した。天正14年(1586)、清顕が嗣子なく没したため、清顕の甥・田村宗顕を城主としたが、清顕の娘(愛姫)婿・伊達政宗に従った。天正18年、田村氏は政宗の指示で小田原攻めに参陣しなかったため、豊臣秀吉の奥州仕置によって改易となり、三春城は蒲生領となり、後に上杉、再び蒲生、更に加藤領となった。寛永5年(1628)松下長綱が三春3万石で入封したが、寛永21年に改易となり、翌年、秋田俊季が5万5千石で入った。以後、秋田氏が続いて明治を迎えた。
城跡の地図