福島県のお城 こまがみねじょう
駒ヶ嶺城
別名 臥牛城
所在地 福島県新地町駒ケ嶺舘
遺構等 曲輪、土塁、横堀、堀切、説明板
現状 山林
築城年 天正年間(1573-92)
築城者 相馬盛胤
歴代城主 相馬、伊達
形式 山城(比40m、標55m)
登城時間 登城口1から本丸まで約5分
本丸搦手
訪城日 2016/12/23 感想
【道案内】 城跡の地図 登城口1の地図 登城口2の地図
JR常磐線「駒ヶ嶺駅」から北西へ約1.3km。駒ヶ嶺小学校から東側道路(国道6号の1本西側道路)を600m程北上して左折すると、道が右カーブし、その後左へ約90度曲がりますが、この正面の階段を上がって右へ進み、「臥牛城址」の案内がある所が登城口1です。途中、道路にも案内が出ています。周辺は路駐できるスペースがないので気を付けて下さい。また、城の北側からも城内に入れます(登城口2)。
【感想・メモ】
「本丸入口」石碑から更に進み、桝形を越えると城の略図(右下写真)がある本丸に至ります。本丸西側の横堀との高低差に驚き、更に本丸搦手の桝形が見応えたっぷり。土橋の先は西郭で、間の堀切は本丸と西郭の西側に施された横堀と合流し、更にこの外側にも堀があり二重堀となっています。横堀は幅もありスケールの大きさを感じます。ちなみに、「本丸入口」石碑から北へ進むと登城口2に至ります。
【歴史】
天正年間(1573-92)、相馬盛胤が築城し、城代に原如雪の嫡子藤崎摂津を置いた。天正17年(1589)5月、伊達政宗が攻略し、黒木備前を城代とした。その後、伊達忠宗、桜田玄蕃、新田下総、富塚長門と代わり、享保3年(1718)から伊達一族の宮内主税が城代となり、駒ヶ嶺など千四百石を領した。以後、宮内氏が続き、明治を迎えた。慶応4年(1868)戊辰戦争の前線基地となり、官軍方の攻撃によって炎上した。
参考資料
現地説明板
正面突当りの階段を上がり右へ 少し進むと「臥牛城址」案内
(登城口1)
更に1〜2分で「本丸入口」石碑 西端の横堀
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