猪苗代城
別名 亀ヶ城
所在地 猪苗代町古城町
遺構等 曲輪、土塁、空堀、石垣、井戸、説明板
現状 亀ヶ城址公園
築城年 建久2年(1191)
築城者 佐原(猪苗代)大炊助経連
歴代城主 (佐原)猪苗代、町野、加藤
形式 山城(比28-30m)
訪城日 2006/5/2
【道案内】


【感想・メモ】
いなわしろじょう
【歴史】
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磐越自動車道「猪苗代磐梯高原インター」を下り、国道115号で福島方面へ北上します。2km程北上して左折し県道322号に入り、、800m程西進して右折します。右手に役場を過ぎ、そこから600m程北上した左手に公園があり、ここが城跡です。公園に無料駐車場が完備されています。
二の丸が駐車場で、いきなり立派な石垣が見え感動しっぱなしです。階段を上がって行くと、まだまだ石垣があり、楽しくなってきます。土蔵付近にも石垣や土塁が見られ、東側には井戸があります。主郭には立派な土塁が巡り、下を見下ろすと空堀が見えます。石垣だけでも見応えたっぷりなのに、この空堀がまたすごくステキです。このお城はお気軽な上、整備され、遺構も楽しめ、オススメです。
三浦氏の一族である佐原義連は「奥州征伐」の軍功により、頼朝から会津四郡を与えられました。その子盛連には六男があり、長男である大炊介経連が猪苗代を領して猪苗代氏を称しました。経連は、磐梯山南麓の弦峯の地に建久2年(1191)亀ヶ城を築いたと伝えられています。以後、14代盛胤まで猪苗代氏代々の居城でしたが、天正17年(1589)「摺上原の戦い」で葦名方が伊達勢に敗退したことにより、盛胤も湖南横沢に引退し、猪苗代城主はここに終わりを告げました。しかし亀ヶ城は、江戸初期に出された一国一城令にも破却されず、近世を通じて城代が置かれ、幕末の戊辰戦争によって消失するまで会津藩東の要として残された名城です。(現地説明板より)
城跡の地図