稲村城
赤城寺の上へ行くと、一面の野菜畑。お寺の上にこんな広い土地が続いているなんて、行ってみてびっくりでした。畑に土塁が残っています。また、ここから赤城神社の方まで城跡だったようですが、赤城神社側から入り込もうとしたら、薮だったので諦めました。
【感想・メモ】
別名 御所館
所在地 須賀川市稲字御所館
遺構等 曲輪、土塁、堀切
現状 農地、山林
築城年 応永6(1399)
築城者 足利満直
歴代城主 足利、二階堂
形式 平山城(比15m、標263m)
訪城日 2006/5/1
【道案内】
いなむらじょう
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「赤城寺」の上の丘陵上一帯が城跡です。
稲村城は二階堂氏の城であったが、明徳3年(1392)鎌倉公方2代足利氏満の時、相模・武蔵・安房・上総・下総・上野・下野・常陸・甲斐・伊豆に加え、陸奥・出羽の二カ国を将軍義満から賜った。そこで、応永6年(1399)鎌倉公方を継いだ満兼は、弟二人のうち・満貞を稲村城に入れ稲村御所とし、満直を篠川城に入れて篠川御所とした。しかし、将軍足利義教を支持する満直と対立した満貞は、永享10年(1438)鎌倉に退去した。鎌倉公方4代目足利持氏は室町幕府に反抗し、それを諌める補佐役の関東管領上杉憲実を討とうとして、将軍義教の怒りをかい、永享11年、鎌倉の永安寺で持氏は自害し(永享の乱)、満貞も鎌倉の報国寺で自刃した。その後、稲村城は廃城となった。
【歴史】
城跡の地図