青山城
別名
所在地 喜多方市上三宮町上三宮
遺構等 曲輪、土塁、空堀、土橋、説明板
現状 日枝神社
築城年 宝治年間(1247-49)
築城者 佐原盛時
歴代城主 佐原
形式 山城(比10m)
訪城日 2006/5/3
【道案内】


【感想・メモ】
あおやまじょう
【歴史】
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県道210号でJR「喜多方駅」から北上した場合、200m程進むと直進が県道16号になるので、県道16号を北上します。1.3km程進んだ信号を左折して国道459号に入りますが、国道459号はすぐ左折となるので、そこは直進し県道333号に入ります。2.5km程北上した信号を左折し、県道335号に入り、押切川を渡ります。そこから1km程進むと右手に日枝神社があります。この神社付近一帯が城跡で、神社の脇に駐車スペースがあります。
神社の前に説明板があります。頂点の社殿がある所は物見台です。神社の裏手(西〜北)へと入り込んでみると、土塁と空堀が巡っているのがよく分かります。あちこち藪だらけなのですが、虎口付近に土橋もしっかりありました。
青山城跡は、江戸時代の地誌「新編会津風土記」によると、鎌倉時代初期の関東武士佐原十郎義連の孫、五郎左衛門盛時を祖とし、俗に加納殿と呼ばれた佐原氏の居館跡とされており、南西約150mには、盛時を祀った五郎神社がある。佐原氏は応永9年(1402)に新宮氏と争い滅ぼされたという。昔は東城と西城があったといわれるが、現存するのは西城にあたるこの城のみである。城の規模は東西約160m、南北約250m、現在は日枝山王神社が祀られている。物見台もしくは矢倉台と推測される比高約10の高まりと、南北二つの郭から成る。遺構の残りは良好で、周囲には土塁と空堀が巡らされ、南郭の鳥居付近は土塁が二重となり、北郭の北東には虎口と土橋が設けられている。(現地説明板より)
城跡の地図