吉田城 |
北西の土塁と虎口 |
お寺のすぐ北側に城址碑と説明板があります。北東の櫓台前には「秋田の自由民権発祥の地」の石碑と説明板があり、この北側には虎口があります。曲輪の外側には空堀が良好に残っています。単郭の館城ですが、西法寺の住職さんのお話によると井桁城ともいわれたようで、四隅の櫓台や張り出しがあり、曲輪がかなり広く、土塁も分厚く、虎口や空堀も見られ、かなり満足できるお城です。 |
吉田小学校から400m程東進した右手が城跡です。更に東進して突き当りを右折し、200m程南下すると右手に「西法寺」があり、ここに駐車させて頂きました。 |
自由民権の碑と説明板 |
別名 | 西法寺館 | ||
所在地 | 秋田県横手市平鹿町上吉田吉田 | ||
遺構等 | 曲輪、土塁、隅櫓跡、空堀、碑、説明板 | ||
現状 | 史跡公園(西法寺北) | ||
築城年 | 永禄年間(1558-70) | ||
築城者 | 小野寺輝道 | ||
歴代城主 | 小野寺、佐竹、茂木 | ||
形式 | 平城 | ||
訪城日 | 2010/7 | 感想 | ◎ |
よしだじょう |
永禄年間(1558-70)、小野寺輝道が築城した。輝道は乗っ取られていた横手城の奪取に成功し、家督を二子義道に譲り、吉田城に隠居した。慶長6年(1601)、小野寺氏は滅亡するが、吉田城は唯一落城を免れた。 (『日本城郭大系』新人物往来社発行、現地説明板 参照) |