大平城
城跡の地図
駐車場に縄張図付きの説明板があります。城跡への道もしっかりしており、見所など案内標示もありますが、シダであちこち見難いです。5分程登ると出曲輪で、更に5分程進むと大平城址と書かれた石碑があります。このすぐ上が本曲輪で、ここから東西南北の尾根に曲輪が配置されており、堀切で尾根を断ち切っています。広い城域なため、あちこち見て回っていたらかなり時間がかかりました。古いお城で造りは単純です。

登城口の碑

【感想・メモ】
【道案内】
登城口の地図
浜松市宮口地区の国道362号「鹿玉小南」信号を北へと県道68号に入ります。天竜浜名湖鉄道を越えて3km程北上した右手に案内板や駐車場があります。五体力神社の北側の山が城跡です。
別名 大退羅城
所在地 浜松市(浜北市)浜北区大平
遺構等 曲輪、堀切、碑、説明板
現状 山林
築城年 南北朝期
築城者
歴代城主
形式 山城
登城口から主郭まで約10分
訪城日 2008/3/8

おいだいらじょう
【歴史】
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縄張図(現地説明板より)
南朝方についた三嶽城を本拠とする井伊氏の支城のひとつとして築かれた。井伊氏は三嶽城を中心に南を浜松市の鴨江城、西を三ヶ日町の千頭峯城、東を大平城と、支城を固めた。井伊氏は南朝の後醍醐天皇の皇子の宗良親王を迎え、遠江の南朝勢力の中心となった。大平城の南朝軍と、足利尊氏の命を受けた高帥泰率いる北朝軍の攻防戦は暦応2年(延元4年・1339年)から翌3年(興国元年・1340年)にかけて繰り広げられ、大平城は落城した。
西曲輪の堀切