犬居城

物見曲輪からの眺望

馬出曲輪への土橋

城跡の地図
国道362号「新秋葉橋」で気田川を北へ渡ってすぐの信号を右折し、250m程東進して左折します。あとは「犬居城」の案内に従えば良いです。登り口に2〜3台の駐車スペースがあります。
登城口左手は茶畑で、登城道は東海自然歩道として整備されています。7分程登ると竪堀が見え、そこから2分程で三日月堀が目に飛び込んできます。この上の馬出曲輪へは立派な土橋を通り、更に西へと土橋を進むと二の曲輪で堀切や竪堀が見応えあります。その先はベンチや城址碑がある本曲輪で、物見曲輪には模擬天守型の展望台があり眺望がとても良いです。展望台の下に説明板があり、この西側は自然地形のような堀切です。二の曲輪の北には横堀と広い腰曲輪があり、更に下ると石組みの水の手がある(2つ確認)井戸曲輪です。三日月堀の北方にも堀切の先に東曲輪があります。全体的に整備されていて見やすく、楽しめます。
登城口の地図
西端の堀切
【感想・メモ】
【道案内】

別名 鐘掛城、乾城、鞍掛城
所在地 静岡県浜松市天竜区春野町領家
遺構等 曲輪、横堀、竪堀、堀切、土橋、櫓台、馬出し、水の手、碑、説明板
現状 山林
築城年 天正2(1574)
築城者 天野藤秀
歴代城主 天野
形式 山城(比100m)
登城口から主郭まで約12分
訪城日 2011/7/16 感想
いぬいじょう
【歴史】
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承久の乱(1221)後、山香庄の地頭に任じられ、北遠地方を代表する在地領主に成長した天野氏の居城である。天野氏は戦国時代、今川氏の配下として川根から天竜川付近まで勢力を延ばした。永禄3年(1560)、今川義元が桶狭間の戦いで戦死すると徳川家康に属し、上洛を企む武田信玄が北遠地方を伺うと武田氏に従った。天正2年(1574)徳川軍に包囲されたが、気田川増水のため退却する徳川軍を田能、大久保辺に追撃した。天正3年、長篠の戦いで武田氏が大敗すると、翌年再び徳川軍の攻められ、北遠の地を去った。

堀切

東曲輪

横堀

馬出曲輪

鳥瞰図(現地説明板より加筆修正)