田中城

田中城ミニチュアと城址碑
【道案内】
城跡の地図
「西益津小学校を中心に、円形の縄張となっています。
全国でも非常に珍しい円形の縄張!小学校のミニチュアが城全体の様子が分かりやすく微笑ましい。また、田中城の石碑と、田中城大手二之門付近から出土した石垣石が置いてある。学校から少し歩くと、小学校の周囲に二之堀が残り、そこにかかる橋に二之堀の説明板があり、橋の向こう側に城跡碑がある。他にも、県道30号と県道224号が交差する所にも立派な城跡碑。南東隅にある徳之一色城跡でもある「田中城下屋敷」に駐車し、散在する堀や土塁を歩いて回ることをお勧めする。この駐車場の案内板に、田中城下屋敷はH4〜H7年にかけかつての庭園を復元し、茶室を元の場所に移築。更に、田中城ゆかりの本丸櫓・仲間部屋・厩・長楽寺村郷蔵も移築復元したとある。入場無料で綺麗な庭園公園といった感じ。裏側に六間川が流れ、二階建ての本丸櫓も中に入れる。本丸櫓の二階からだと、庭園などが一望できる。
別名 亀甲城、亀井城
所在地 静岡県藤枝市西益津田中
遺構等 曲輪、土塁、水堀、石垣、碑
現状 西益津小学校
築城年 永禄13(元亀元、1570)
築城者 武田信玄
歴代城主 武田、酒井、松平、水野、松平、本多
形式 平城
訪城日 2003/1/13

永禄13年(1570)、武田信玄が徳之一色城を改修・増築した。天正10年(1582)、家康が田中城を攻め、激戦の末開城さた。慶長5年(1600)関ヶ原合戦以後、城主が次々に変わったが、享保15年(1730)、上野沼田から本多正矩が4万石で入封し、以後本多氏が6代続いて明治を迎えた。

復元櫓(田中城下屋敷)
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大手門の石
たなかじょう
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