県道27号「奥池ケ谷」バス停から150m程南下した西側の山が城跡で、中河内川が大きく西側へ蛇行した内側となります。「奥池ケ谷」バス停の約130m南で道がカーブしており、カーブミラーがありますが、この脇が登城口で、付近余白に駐車しました。 |
奥池ケ谷城 |
遠景
西方の郭
中河内川が北・西・南の三方を取り囲むように流れた天然の要害に築かれています。カーブミラーの脇から山に取り付き、2分も登ると堀切があります。この上が竪土塁と竪堀のようになっていて、更に5分も登れば高い切岸が見え、堀切の先が主郭です。主郭の西方には鉄塔が建ち、その西側に4段程の段郭があり、石積みが見られます。特に北側に石積みが長く続いています。また、主郭から南東尾根にも郭や堀切があるようですが、こちらは未訪です。 |
登城口
別名 | 城山、池ケ谷城 | ||
所在地 | 静岡県静岡市葵区奥池ケ谷 | ||
遺構等 | 曲輪、堀切、石積み | ||
現状 | 山林、茶畑 | ||
築城年 | |||
築城者 | |||
歴代城主 | |||
形式 | 山城(比100m、標362m) 登城口から主郭まで約10分 |
||
訪城日 | 2009/1 | 感想 | △ |
おくいけがやじょう |
狩野氏部将の居城との説や、今川家臣の居住跡との説、今川範国が軍功によって駿河守護となった後の興国2年(1341)家臣友任殿が築城したとの説があるが詳細不明。また、当城には落城伝説も伝わり、湯島城落城の永享5年(1433)頃前後もしくは、永禄11年(1568)頃の2つが考えられている。 参考資料 『静岡県の中世城館跡』静岡県教育委員会発行 |