静岡県のお城
にらやまじょう
韮山城
別名
所在地 静岡県伊豆の国市韮山韮山
遺構等 曲輪、土塁、堀切、説明板
現状 城址公園
築城年 延徳3(1491)
築城者 北条早雲
歴代城主 北条、内藤
形式 平山城(比35m)
登城時間
塩蔵から主郭方面を望む
訪城日 2013/2 感想
【道案内】 登城口の地図 城跡の地図
登城口
(権現曲輪北の堀切)

主郭北の堀切
伊豆箱根鉄道「韮山駅」から東へ約800m。韮山高校南西の小山が城跡で、城の北東に登城口があります。登城口前(城池北西)、城池北東、江川邸に無料駐車場があります。
【感想・メモ】
城は公園整備され見やすく、南北に郭が連なる縄張で、最北の三郭はテニスコートに、その南の権現曲輪は神社が鎮座していますが、全体に土塁や堀切がしっかりしていて見応えがあります。また、現韮山高校敷地は平時の居館といわれています。韮山城と一緒に周囲の砦(江川砦天ヶ岳砦土手和田砦和田島砦)も散策するのをオススメします。所要時間は3〜4時間程度。
【歴史】
文明年間(1469-86)、堀越公方、足利政知の家臣外山豊前守が最初に築城したといわれる。その後、延徳3年(1491)駿河興国寺城にいた伊勢新九郎長氏(北条早雲)が堀越御所の内紛に乗じ、政知の子・茶々丸を滅ぼして伊豆領主となり、韮山城を大改修した。早雲はここを本拠として小田原城を奪い、北条五代の基礎を築いた。一時本拠を小田原に移したものの後に韮山へ戻った早雲は、永正16年(1519)88歳で没するまで、33年間ここに住んだ。天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原征伐の際、城主北条氏規(4代氏政の弟)は約4万の大軍に対し、3千の兵でこの城を守り通した。北条氏規が城を退いた後、徳川家康は内藤信成を城主としたが、慶長5年(1600)家康の関東移封に伴い韮山城は廃城となった。
参考資料
『静岡の山城ベスト50を歩く』加藤理文 ・中井均(編)/サンライズ出版
『静岡県の中世城館跡』静岡県教育委員会
『伊豆韮山籠城戦の付城と仕寄遺構』土屋比都司著
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