鎌田城

遠景

10分程登ると炭焼釜跡があり、その少し先の分岐で鎌田城跡へと右へ進みます。そこから5〜6分で城域に入り、連続する3条の堀切を土橋で通り、その先の虎口まで巧みに進入路を屈曲させているのが面白いです。主郭は三角形で北以外に土塁があり、社や縄張図付きの説明板もあります。展望台と表示がある方へ進むと堀切の先にダム湖が一望でき、南東尾根にも堀切が、また東郭の東側には横堀や竪堀も配されています。城内も見やすく、かなり楽しめるお城です。
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城跡の地図
発掘調査により掘立柱建物跡が検出され、15世紀末〜16世紀初頭の中国製青磁碗、常滑焼、瀬戸焼などが出土しており、明応2年(1493)伊勢新九郎長氏(北条早雲)が韮山の堀越御所を襲って足利茶々丸を滅ぼした後、伊豆半島の争乱時期には城が存在していたと考えられる。また、現在確認できる遺構から、天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めの際、下田城小田原城の中間地点における海上ルートと、陸路の修善寺方面から街道ルートの監視所として後北条氏により改修されたと思われる。
【道案内】
登城口の地図
松川湖の東北東約1kmの城山が城跡。松川湖東にある奥野ダム管理所の駐車場に車を置き、そこから県道12号に戻って右折し、50m程東進した左手に鎌田城跡ハイキングコース入口の案内があります。
参考資料
『静岡県の中世城館跡』静岡県教育委員会発行
『日本城郭大系』新人物往来社発行
『ふるさと古城の旅』水野茂著
『静岡の山城ベスト50を歩く』加藤理文・中井均編
現地説明板

東の空堀

【感想・メモ】

【歴史】

主郭

別名
所在地 静岡県伊東市鎌田
遺構等 曲輪、土塁、横堀、竪堀、堀切、説明板
現状 山林
築城年 文治5年(1189)
築城者 鎌田俊長
歴代城主 鎌田行俊
形式 山城(比高210m、標318m)
登城口から主郭まで約25分
訪城日 2009/2 感想
かまだじょう