城跡の地図
安芸城
別名
所在地 高知県安芸市土居
遺構等 曲輪、土塁、水堀、横堀、井戸
現状 歴史民俗資料館、書道美術館、山林
築城年 延慶2年(1309)
築城者 安芸親氏
歴代城主 安芸
形式 平山城
訪城日 2004/5/2
【道案内】


【感想・メモ】
あきじょう
【歴史】
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井戸と説明板
安芸駅から300m程東方の県道211号を1.5km程北上します。すると、右手に「野良時計駐車場」という観光者向けの無料駐車場があります。ここから県道211号を更に500m程北上した路地を右折し、200m程東進した左手が城跡です。私は、上記の駐車場に車を停めて、ゆっくり町並を散策しながらお城へ行きました。城跡の中には、現在、歴史民俗資料館や書道美術館があり、美術館の方はちょっと天守閣っぽい建物でした。
安芸城へと近づいてまず目に飛び込むのが、水堀!オーッ、良い雰囲気と気分よくしていたら虎口は枡形になっていて、しかも石垣。中へ入ってまた感動。だって土塁が巡っているぅー。しかも所々に石垣もある。何て素晴らしいお城なんだぁ〜!山へ登ると、山頂の本丸に土塁が少し残っている程度で、あとは空堀があるくらいしか分かりませんでした。でも、本丸は意外と広く、本丸下にも曲輪がありました。美術館の前に石組みの井戸と説明がありました。私は周囲の土塁に目が釘付けで結局ぐるりと一回りしました。
延慶2年(1309)、安芸親氏が築城した。安芸氏は土佐7守護の1つとして土佐東部に勢力を誇った。永禄12年(1569)、当主安芸国虎は土佐中央部を制した岡豊城主・長宗我部元親に攻められ、菩提寺浄貞寺にて自刃した。安芸氏滅亡後、長宗我部元親は実弟・香宗我部親泰を城主とし、阿波侵攻の拠点とした。慶長5年(1600)、関ヶ原合戦で西軍に属した長宗我部盛親は改易となり、替わって遠江掛川より土佐一国を領した山内一豊が、重臣・五藤為重を置いた。元和の一国一城令(1615年)後は、「土居」として存続し、明治を迎えた。