【道案内】 |
登城口の地図 |
城跡の地図 |
奥白方の登城口 |
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天霧山が城で、南西にある弥谷寺(住所:三豊市三野町大見甲)が登城口です。お寺の無料駐車場にお城の説明板があり、その先も要所に天霧城の案内があり、城の近くまで遍路道が整備されています。弥谷山への分岐から更に尾根を東へ進むと白方からの登山道と合流しますが、多度津町奥白方の虚空蔵寺南方から登る遍路道で、こちらは天霧城の案内が無いため不安な上、比高320m程です。また、隠し砦や鉄塔を過ぎもう少し進むと道が二手に分かれ、右手の尾根上を進むと主郭へ、直進方向は側道となり井戸へ至ります。弥谷寺は無料駐車場から比高60m程上まで車で行ける有料道(500円)がありますが、歩いても5分程の場所で108階段は登る必要があります。 |
隠し砦 |
【感想・メモ】 |
お寺に天霧城主香川氏歴代の墓があり、無料Pから10分程上るとお寺との分岐となり遍路道を進みます。更に15分程歩くと隠し砦の案内があり、土塁を持つ郭とその下に二段の郭、そして南西下には土橋もあります。岩場で細くなった虎口を抜けると主郭で、その先の二郭、三郭の北側面には石垣が良く残っています。尾根を北東へ進むと大堀切があり、更に尾根上に細長い郭が続きます。北東端の方形郭から先は危険とあったので引き返し、大堀切から井戸を見に行きました。井戸から三郭に登るか、直進して登山道に出られます。 |
【歴史】 |
相模国香川荘出身の香川氏は鎌倉権五郎の末裔といわれ、14世紀後半に讃岐の守護細川氏に従い入部し、西讃岐の要衝である多度津の本台山(桃陵公園付近の多度津城)に居館を構えた。その後、西讃岐守護代の地位を得た香川氏が、有事に備えた詰の城を本台山から直線で約3kmの天霧山に築いた。天正6年(1578)、土佐の長宗我部元親の侵攻により香川氏は長宗我部氏に従ったが、天正13年(1585)8月、秀吉の四国攻めにより香川氏は滅亡した。 |
【参考資料】 |
『日本城郭大系』新人物往来社発行 |