城跡の地図
鳥羽城
別名 錦城
所在地 鳥羽市鳥羽町
遺構等 石垣、本丸、説明板
現状
築城年 文禄3(1594)
築城者 九鬼嘉隆
歴代城主 九鬼、内藤、稲垣
形式 海城
訪城日 2002/12/7
【道案内】

【感想・メモ】
とばじょう
【歴史】
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鳥羽市役所の北〜東一帯が城跡です。近鉄鳥羽線・JR参宮線「鳥羽駅」から南へ約500m、近鉄志摩線「中之郷駅」から西北に約300mのところ。
市役所の裏から鳥羽幼稚園に向かって登り出すと、説明板があり、現在、何になっているかが分かりやすいように縄張図に番号がふってあります。鳥羽小学校のグランドが本丸だったので、まずはそこへ行きました。あちこちに石垣が見られますが、幼稚園の辺りのものとは違っています。城山公園からは、鳥羽港や鳥羽水族館が眼下に見えます。かなり広い城跡にびっくりでしたが、ゆっくり散策して満足!
文禄3(1594)、波切城主・九鬼定隆の次男・嘉隆が築城した。嘉隆は信長に従って各地を転戦し、信長死後は秀吉に仕え、小田原征伐、四国・九州攻め、朝鮮の役など、水軍の将として活躍した。関ヶ原の戦いで西軍に味方したため、答志島に逃げ助命が許されたが、家臣の間違いで切腹させられた。