山田野城
【道案内】
城跡の地図
JR名松線「関ノ宮駅」から県道664号で1km程北上して左折し、県道662号に入ります。2km程南西へ進んで右手に「山田野集会所」を過ぎ、更に300m程進んだ3本目の路地を右折します。薬師寺を正面に見ながら80m程進んで左折し、200m程西進した右手の電柵が途切れた所から登ります。周辺の余白に駐車可能です。

登城口

別名 八幡山城
所在地 津市白山町山田野字上山口
遺構等 曲輪、土塁、竪堀、堀切
現状 山林
築城年 天正年間(1573-92)
築城者 長野左京進
歴代城主 長野
形式 山城(比80m、標165m)
登城口から主郭まで約10分
訪城日 2007/12/15

【感想・メモ】
やまだのじょう
【歴史】
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天正年間(1573-92)、長野左京進が築城した。長野左京進は北畠氏の臣で、北畠一族の大河内城籠城の際には大奮戦をしたが、天正4年(1576)織田信長の命で国司具教を三瀬御所で殺害し、具親再挙の時にも活躍したため、この地を与えられた。また、北畠信雄と羽柴秀吉の対立が激化した際は、信雄が不利と見るや秀吉に通じ蒲生氏郷に内応した。同様に蒲生氏郷に内応していた小倭の岡村修理亮とは仲が悪く、その子清次郎に津の半田山で殺された。その後、織田信包は守岡金助にこの城を与えた。
登城口から入ると堀底道のような雰囲気で、5分程進むと道に出て、コンクリの水路があります。この道に出てから10m先付近から右手の山を直登します。登りきって少し進むと目の前に切岸が見えます。ここが城跡です。主郭は南側に虎口があり、約30x20mと南北に長く、2〜3mの高い土塁が巡っています。この主郭の南側にちょっとした曲輪があり、一種の馬出しのような役目をしている感じがします。主郭の西側には広い曲輪があり、主郭の北側には堀切もあります。全体に遺構がしっかり残っています。