三重県のお城
しんじょじょう
新所城
別名
所在地 三重県亀山市関町新所字城山
遺構等 曲輪、土塁、堀切、石垣
現状 山林
築城年 天正年間(1573-92)
築城者 関盛信
歴代城主
形式 平山城(標153m、比50m)
登城時間
主郭のある尾根の南方堀切
訪城日 2013/1 感想
【道案内】 登城口の地図 城跡の地図
遠景
国道1号と国道25号が交差する「新所町」信号南東の小山が城跡。新所町信号から国道1号を500m程東進して「長徳寺前」バス停を過ぎ、更に120m程東進した次の路地を右折します。70m程南下した右手山裾が登城口です。新所町信号の70m東、国道1号沿い北側にある観光者用駐車場を利用すると良いです。
【感想・メモ】
山の東に登城口はあり、少し登ると堀切とその先に土塁がある郭に至ります。更に尾根を西へ進むと北へと延びる支尾根に南北に長い郭が連なります。更に最初の尾根を西へ進むと、堀切とその先に竪土塁があり、ここを登るとこちらにも東西に延びる尾根があり、このピークが主郭です。この尾根の西方に石垣があるようですが、見忘れました。
登城口
【歴史】
天正年間(1573-92)、関盛信が築城したといわれる。永禄11年(1568)織田軍が侵攻してきたが、関盛信は最後まで近江六角氏と連帯して信長軍と戦った。しかし、元亀4年(1573)蒲生賢秀のもとに幽閉された。天正10年(1582)神戸信孝が四国攻略の総大将に命じられ、盛信は幽閉を解かれ亀山城へ戻った。本能寺の変で信長が没すると秀吉に属し、天正11年、年賀で盛信・一政父子が上京している間に柴田勝家の臣となっていた盛信の三男・盛清を盛信の後継として亀山城を奪い、信孝側の滝川一益に属した。秀吉軍は蒲生氏郷らに命じ奪回し、盛信は蒲生氏に属し亀山城を預けられた。天正18年、蒲生氏郷の会津転封により、関一政は白川城を託された。新所城は、天正11年の滝川一益との戦いの後、秀吉の命を受けた浅野長政らによって普請された。
東尾根の堀切
参考資料
『三重の山城ベスト50を歩く』福井健二・竹田憲治・中井均編/サンライズ出版
三重の中世城館』三重県教育委員会
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