川俣城 |
神社の背後北側に土塁が30mと長く残っています。また、土塁の東端から更に東へ進むと堀跡もあります。南に加太川があり、周囲は崖となっていて更に台地上にあることから、天然の要害を利用して築かれたお城だと思いました。神社の標柱に、城跡についての説明も書かれています。 |
別名 | |
所在地 | 亀山市(関町)加太板屋 |
遺構等 | 曲輪、土塁、堀跡 |
現状 | 川俣神社 |
築城年 | 応永21(1414) |
築城者 | 佐々木満喬 |
歴代城主 | 佐々木 |
形式 | 台城 |
訪城日 | 2007/4/21 |
かわまたじょう |
国道25号(名阪国道)「板屋インター」を下りて200m程北上すると、旧国道25号にぶつかります。ここを左折して300m程西進すると左手に「川俣神社」があります(旧国道からだと神社が分かりにくいので、板屋インターを下りて、1本目の路地を左折すると右手に鳥居が見えるので、こちらから行ってもいいです)。この神社が城跡で、旧国道から行った場合は神社に駐車でき、1本南側道路から行った場合は、鳥居の付近に駐車できます。 |
川俣神社
はじめ、御霊ヶ丘陣屋と呼ばれた。応永21年(1414)夏、国司北畠満雅が鹿伏兎城内で軍議を開き、この御霊ヶ丘陣屋を検分した際に、川俣城と呼ばれるようになった。南北朝の戦いで、南朝に属した佐々木満喬が、楠木正盛と共に鹿伏兎谷に落ち延び、鹿伏兎城主・鹿伏兎忠賀に従って川俣城を守護した。 |