登城口の地図
保々西城
別名 保々西村城
所在地 三重県四日市市西村町字城下
遺構等 曲輪、土塁、空堀、井戸、土橋、説明板
現状 山林
築城年 康正年間(1455-57)
築城者 朝倉備中守
歴代城主 朝倉
形式 平山城(比20m)
訪城日 2005/2/5
【道案内】


【感想・メモ】
ほぼにしじょう
【歴史】
TOPページへ
井戸
空堀
北勢中央公園の東南隅が城跡です。三岐鉄道「北勢中央公園口駅」から北へ約150mで県道14号から西へ入ります。すぐに三岐鉄道を横切り、1km程西進し右手にコンビニを過ぎてすぐの路地を左折して少し行くと、突然一面田んぼになります。一面田んぼになって最初の路地を右折して真っ直ぐ行けば登城口ですが、お城の縄張図付きの説明板は1本南側の道にあります。
空堀の深さといい、土塁の高さといい、とにかく見応えたっぷり!東側の枡形虎口から主郭へ入っていく所も、北側の平虎口も分かりやすいし、土橋もしっかりしています。主郭東側の空堀より外には、土塁がコブのように短い間隔で5つ程あります。主郭の北東側には井戸があります。主郭から北側は屋敷跡って感じで、土塁で囲まれた空間がいくつかありました。
康正年間(1455-57)、茂福城主・朝倉備前守が築城し、4代目・兵部まで居城したといわれる。東方1.8kmのところに支城・市塲城があった。永禄11年(1568)、織田信長が攻めてきた際、滝川一益の攻撃を受け、滅亡し落城した。
縄張図(現地説明板より)