城跡の地図
滝川氏城
別名 小波田城
所在地 名張市下小波田字下出
遺構等 曲輪、土塁、空堀
現状 運動公園
築城年 天正9(1581)
築城者 滝川三郎兵衛
歴代城主 滝川
形式 丘城
訪城日 2004/10/16
【道案内】


【感想・メモ】
たきがわしじょう
【歴史】
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国道165号「小波田」信号を県道692号へと北に入ります。300m程川沿いに北上すると県道は少し右に曲がるので、そのまま県道をキープします。そこから200m程進むと十字路があるので右折します。300m程進んで右手に酒屋を通り越し、道が下り終わると、急に左前方に田んぼが広がってきます。そこに左に入る路地があるので、左折します。(酒屋を越えてから3つ目の路地)そのまま進むと左手に運動公園(グランド)があります。ここが城跡です。グランドに駐車できます。
グランド内が本丸で周囲に土塁が巡っているのですが、グランドとして使用してるだけあって広いです。単郭のお城だけど、2ヵ所の虎口が明瞭な上、土塁は高く長くあるので、楽していいものが見られ得した気分になれます。ここは天正伊賀の乱の際に、北畠信雄軍の主陣として築かれたお城です。
滝川一益の娘婿である滝川三郎兵衛が、伊賀統一の足がかりとして、下神戸に丸山城を築いたが、天正6年(1578)、伊賀土豪たちの攻撃を受け、織田信雄のもとへ逃げ帰った。翌天正7年に伊賀へ攻めるも敗退したため、天正9年、再度侵攻した。三郎兵衛は比自山砦を攻略後、柏原城攻略に乗り出したが、容易に落ちず長期化した。そこで、信雄の本隊を下小波田に戻し、短期間にこの城を築いた。伊賀の乱の後、三郎兵衛は丸山城に入り、滝川氏城には家臣を置いて守らせた。